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​星野玲子のブログ

「清瀬讃歌」を清瀬市の市歌に

10 分前
読了時間: 6分
清瀬 けやき通り
清瀬 けやき通り

9月議会の一般質問で、私が取り上げた一つが、

「清瀬讃歌を、清瀬市の正式な市歌に」

という提案です。


「清瀬讃歌」をご存じでしょうか。


長く清瀬にお住まいの方なら、市の行事や式典、学校行事などで、一度は耳にしたことがあるかもしれません。また子供の頃、小中学校で歌っていた方もおられると思います。

♪ 慈のまち 愛のまち 好きだよ清瀬

という印象的な歌詞とともに、約30年にわたって市民に親しまれてきた歌です。

でも実は、「清瀬讃歌」は現在、清瀬市の正式な「市歌」ではありません。


私は今回、

これだけ長い間、市民に歌われてきた「清瀬讃歌」を、そろそろ正式な市歌として位置づける時期ではないか。

そう提案しました。


「清瀬讃歌」は、どのように生まれたのか

今回の質問にあたり、改めて制作当時の資料を調べました。

2004年に中央法規出版から刊行された「福祉文化の探求 京極髙宣像を語る」には、「清瀬讃歌」の制作に関わった当時の関係者3名の寄稿が収録されています。

そこには、この歌がどのような思いで生まれたのかが、それぞれの立場から記されていました。


日本社会事業大学が清瀬市へ移転したのは1989年。

その7年後の1996年、建学50周年を迎えるにあたり、当時の日本社会事業大学学長・京極髙宣氏から、当時の清瀬市長・星野繁に、


「市長、清瀬の歌をつくりませんか。市民にも学生にも清瀬を知ってもらうのにいいと思うんだが」


との提案があり、市長が快諾したことが記されています。


私は、このエピソードは、日本社会事業大学と清瀬市がともに歩んできた歴史を象徴する出来事の一つだと思っています。


星野哲郎さん×池辺晋一郎さんという異色の組み合わせ

作詞を担当されたのは、「北国の春」「矢切の渡し」など、数々の名曲を生み出した故・星野哲郎氏。

そして作曲は、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」などを手がけた作曲家・池辺晋一郎氏です。

演歌の世界を代表する作詞家と、クラシックを中心に活躍する作曲家。

なかなかない組み合わせです。

そして、ここが今回、私がぜひ伝えたかったところです。


池辺晋一郎氏は、当時のことを振り返り、

「日本社会事業大学のある清瀬市と市民・学生のための歌」

として依頼を受けたと記されています。


また星野哲郎氏も、

「東京都清瀬市の歌のお仕事をいただいたことがあります」

と記しています。


つまり「清瀬讃歌」は、発案した京極氏、作詞した星野哲郎氏、作曲した池辺晋一郎氏、それぞれが、清瀬市と市民・学生のための歌として認識して制作したものだったことが、当時の資料からも分かります。


一般質問の前に、日本社会事業大学にもご相談しました

実は今回、「清瀬讃歌を市歌に」という質問を議会で取り上げるにあたって、私がとても大切にしたことがあります。


それは、この歌のそもそもの発案者である京極髙宣先生のお気持ちです。

約30年前に「清瀬の歌をつくりませんか」と声を上げてくださった京極先生のお考えを確認しないまま、私が一方的に「市歌に」と議会で提案するのは違うと思いました。

そこで、あらかじめ日本社会事業大学の方々にご相談をしていました。


大学の皆様にも今回の趣旨をご理解いただき、京極先生にもお話を伺っていただくなど、ご協力をいただきました。

そうしたやり取りを経て、今回、私は市に対して「清瀬讃歌を正式な市歌に」と提案することができました。

この場を借りて、ご尽力いただいた日本社会事業大学の皆様にも、改めて感謝申し上げます。


「清瀬讃歌」は、日本社会事業大学と清瀬市とのつながりの中から生まれた歌です。

そして約30年たった今、その歌を市歌へという提案にあたっても、また大学の皆様に力を貸していただいたことを、とてもありがたく感じています。


父から聞いていた、制作当時のこと

そして、ここには私自身にとっても、少し特別な思いがあります。

当時の清瀬市長・星野繁は、私の父です。


父からは当時、京極髙宣氏、星野哲郎氏、池辺晋一郎氏と一緒に、実際に清瀬のまちを巡ったという話を聞いていました。


大学の周辺や清瀬の風景を実際に見ながら、歌がつくられていった。

歌詞に登場する清瀬の自然やまちの風景も、単に資料を見て書かれたものではなく、実際の清瀬を感じながら生まれていったのだと思うと、この歌の見え方も少し変わってきます。


子どもの頃から父の仕事を身近に見てきた私にとっても、こうして約30年後、市議会の場で「清瀬讃歌」の市歌制定を提案することには、少し不思議なご縁を感じています。

ただ、今回、市歌制定を提案した理由は、それだけではありません。


何よりも、「清瀬讃歌」がすでに約30年間、市民の中で歌い継がれてきた歌だからです。


約30年間、清瀬で歌われてきた

「清瀬讃歌」は1997年に発表され、清瀬室内合唱団による斉唱を収録した8センチシングルCDも制作されました。

当初CDは販売され、現在は図書館で借りることができます。

そして約30年にわたり、市の公式行事や式典、学校行事などで歌われてきました。

私は議会で、


「約30年もの間、市民に親しまれてきたという事実そのものが、この歌の価値を物語っているのではないでしょうか」


と申し上げました。


新しく市歌をつくろう、という話ではありません。

すでに清瀬にあり、市民が歌い、受け継いできた歌です。


だからこそ、

「清瀬讃歌」を清瀬市の公式歌である市歌として、正式に位置づける時期に来ているのではないか。

市の考えを伺いました。


市からは、かなり前向きな答弁が!

市からは、

「清瀬讃歌」を正式な市歌として制定することは**「大変意義深い」**との答弁がありました。

さらに、市歌とすることで、

・清瀬市の魅力発信・郷土愛の醸成・対外的なブランド力の向上

にもつながるとの考えが示されました。


そして、市歌制定に向けて、著作権者との協議、JASRACとの必要な手続き、市民へのパブリックコメント、議会への報告などを経て、条例案の提出に向けた手続きを進めたいとの答弁でした。


「前向きに検討」で終わらせず、もう一歩!

ここで私は再質問しました。


市歌制定について「前向きに検討する」とのことでしたが、大切なのは、実際に前へ進むことです。


そこで、

「市歌制定に向けて、今後どのようなスケジュールで進めていくのか」

を確認しました。


すると市からは、

「市歌制定に向けた取り組みを着実に進めることが、市の責務と認識している」

との答弁。

さらに、

本年度中に、池辺晋一郎氏と故・星野哲郎氏のご遺族へ正式に連絡し、協議を開始することを目標とする

との具体的な答弁をいただきました。


これは大きな一歩だと思っています。


子どもたちが「清瀬で育った」と誇れる歌に

最後に私は、こう申し上げました。

市歌は、単なる歌ではありません。


そのまちの歴史や文化を受け継ぎ、世代を超えて郷土への愛着や誇りを育んでいくものです。

「清瀬讃歌」は、まさにその役割を担うにふさわしい歌だと思っています。

これから先、子どもたちがこの歌を歌い、


「清瀬で育った」

という誇りを感じられるような存在になってほしい。


約30年前、日本社会事業大学と清瀬市とのつながりの中から生まれ、多くの方々の思いによってつくられ、市民が歌い継いできた「清瀬讃歌」。

今度は、その歌を次の世代へつないでいく番です。

本年度中に著作権者との協議を開始するとの答弁をいただきましたので、これからの進捗もしっかり確認しながら、

「清瀬讃歌」を清瀬市の市歌に。

実現に向けて取り組んでまいります。

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